ヤズのさしみにした。

82歳の誕生日は、いつもと同じように夜が明け、6時に起きてお茶を沸かし、
味噌汁を作る事から始まった。いつものように、床をあげ、ばあ様の着替えを手伝い、
朝飯をすませ、そこらを方ずけて、洗濯物を干して、歯を磨き終えるまでに、2時間が
経過している。野菜畑を一回りして来て、ばあ様がデイサービスに出かける時間となる。
老後の左うちわ、ともいかないが、まあ、何とかやっています。と、言うところである。
それが、幸か不幸か判らない。一昨日、かっての盟友の訃報に接し、半世紀分の思い出
が、頭を吹き抜けた。わたしの誕生日は、デモ行進ばかりで、家にいた事がなく、誕生
祝いの御馳走等の記憶も無い。小さかった、長男や次男の手を引いたり、肩車にして、ひたすら歩いた思い出ばかりである。そして、半世紀が経ち、今、人生の終末に近づいた。
人生とは、何だったのか、今だに判らない。判っているのは、死なずに生きていた、と言う事だけの様に思える。時代とともに生き、どこかの、ページの中に、一行程の記載は残るだろう。人は、生きている限り、悪戦苦闘しなければならない。知らない事が、伏流水
のように湧き出て来るのである。悟る暇等ない。知らない事との遭遇、それとの悪戦苦闘、それが生き甲斐である。今から、野菜畑にでかける。
瓜畑に除草剤をかけた。
夕飯には、ヤズの刺身をだした。誕生日おめでとう。の意味である。








ご連絡はこちらへ

Sending

©2019 鬼のつぶやき https://kawamura.from.tv

Log in with your credentials

Forgot your details?