神、偉大なる力

人は、力を合わせて地上の頂点に達したが、日々変わりゆく地上の変化や、突然襲って来る災害に無力で、それらを予測する事が出来ず、災害に襲われれば、住み慣れた四里四方の故郷を捨てて移動するしか対応が取れなかった。
この、人知を越えた巨大な力や理解不能な変化をもたらす原因を(神)と称して怖れた。そこには、自然を理解し、自然を予測し、自然の変化する力、(神)を味方につけ、豊かで、平和な人の社会を作りたいと言う願望があった。(神)とは、自然界を変化させるエネルギーを擬人化したものであり、人が理解不能なあらゆる変化は(神)の意思によると考えられた。よって、(神)は偉大であり万能である、ここまでは世界共通、そして、神が機嫌を悪くすると災いを招くと考えた。したがって、人は皆、神の機嫌をそこなえないように生きなければならず、それが人としての義務だとされたのである。だれかの不心得の為に、俺たちの村に災いが降りかかっては大変だからであった。
さて、擬人化された神であるが、考え方の中に二つの流れがあった。一つは、一人の神がすべてを司る、天体も地上も、生物も無生物も、一人の神の意志によってもたらされる。
絶対無一の、万能の神。後に、一神教の宗教となる。
もう一つの流れは、万物に、それぞれの神が宿る。と 考えるもので、後に、多神教となった。歴史的時代と、所によって、太陽を唯一絶対と考える太陽神、火 を絶対と考える、拝火教、夜空の星、シリユースを信仰するもの、万物のひとつひとつに、特有の神が宿ると考え、精霊を信ずるものと、多様であり、これらの神々を鎮めるのが、神へのもてなし、であった。多くの場合、御馳走を供え、歌を歌い、神が喜ぶような言葉を並べ、晴れ着を着て歌を歌い、踊りを踊った。これがお祭りの始まりである。お祭りは、神を味方につけ、人々の平和と繁栄をはかろうとする、人々の知恵であった。だが、中には、若者の心臓を生きながら、えぐりとって捧げる、と 言う過激なものまであったと伝えられている。








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